川越市茶陶苑の蔵を見ていて、宇和島城武器庫の梁を思い浮かべた・・
内壁しっくいのなかに4寸幅の貫、小舞壁が存在する。
2尺から2尺3寸間隔、間仕切り部の貫との交差部分の逃げをとっている。
一般の柱は6寸見付
茶陶苑の蔵は、一般柱5寸7分、貫4寸の2尺1寸間隔・・
関東埼玉と四国愛媛・・離れた位置にして、良く似た仕様・・
日本の伝統的建築文化は日本中に発達していた証し。
パーツの交換、解体移築、組み直し補充・・
古代のようで近代的発想はすでに行われていた。
日本はすごい国なのだ~♪
床下には柱の通りごとに大きな丸太が横たわって、根固めしている。礎石の上に柱が降り立つ「石場建」礎石建ちである。
柱と脚固めの栓が見える
地震の時、地面の石と柱が繋がっていないことで
柱脚から上はカタカタと右に左に傾いて、ロッキング運動しながら復元する・・
揺れて傾くとき、崩壊しない重要な部分に貫の粘りがある。
元武器庫は(3間2間の桁行梁)5間で区切られた部屋が3つあり、合計15間長さの建物。当時3つの大戸から出入りしていた。
今は郷土資料館として使う折、間仕切りと写真の貫を切り取って1室に解放してある・・
創建当時の3区切りにして貫を戻すことは、丈夫になる・・
出入り口も旧来の柱建ての下屋が全面に復活すれば揺れに対してより安定するかもしれない・・
二重の屋根に二重の壁
室内から見える屋根の上に土葺き防火・・
換気口を採った上で屋根の梁組をしている
凝った造り・・
伊達家の武器庫とあれば丁寧・・